頬杖のココロの奥

気がついたら頬杖を付いている私が斜め上を見ながらぼやく日々

随所作主

「随処作主」(ずいしょさくしゅ)という臨済宗の開祖、臨済義玄禅師の禅語があります。

環境や境遇などに左右されず、どんなところにあっても主体性を保つこと。

すると必ず道が開けて正しい成果が得られる。周りに流されることなく主体的に

生きていかなくてはもったいないですね。

京都の大徳寺塔頭の一つ、大仙院のTwitterでこのように今日

ツイートがありました。

ニャルほど・・・これは覚えられないけどもいい言葉を聞いたなぁと。

私は主体性に欠けていて、ほぼ他人のためにどうたらこうたらと

動くところがあります。

それは八方美人という言葉が当てはまるのか、他人の顔色を伺うというのか

まぁどんな言葉にしろいい言葉は見つかりません。

他人に必要とされるならば、押し付けがましいこともやらかします。

もちろん後で大後悔するわけですが。

環境や境遇に左右されることなく‥実に難しいですね。

大半の人というのは、自分の環境のせいにし、生い立ちのせいにし、

だから今の自分がこうなんだと考えがちですが、

それをせず今どのような自体であろうとも主体性を持ちなさい、と。

そこに私が他の人から貰った言葉を添えてみます。

ただ、常に自分の中に「自己懐疑」的な視点を持ち続けることと、

関わることの重みを確認し続けることが大事ではないかと思う。

主体性だけではなく、そこに自己懐疑的な視点も持ち合わせる。

人との関わりはとても大切。だから自分から繋ぎ続けるもの。

私が時々拝見するブログで、よく人の悪口。。まではいかなくても

嫌なことを書いてる人がいます。

勿体無いなぁと思うのね、その人の価値を下げる。

上から目線で物を言っているようでなんとなく不快です。

自分の事を淡々と書き続ける、思ったことを・考えたことをメモ代わりでも

書くということが「主体性」でもあるのかな・・なんて思う深夜です。