頬杖のココロの奥

気がついたら頬杖を付いている私が斜め上を見ながらぼやく日々

言葉にできない

言葉をかけられないっていう時があるんだなってわかった。

あれもこれも頭で打ち消して、何も残らない、伝えられない。

言葉は軽くない。愛情と同じで軽くない。

だから時として沈黙が流れたりする。

何を言っても偽善でしかないと自分が思うときもあるし

時が過ぎるのをそっと待つというときもある。

ただ臆病なだけかもしれないけれど。

はなしは変わって――

で、なんか最近自分をまたOOしなければと思いがちな内容で

これはあかん、頭がカチコチになってきてると思ったから昔の

メールのフォルダを開いてみた。

ブログで理想を謳う、あるいは理想的な「自分」を演じる――このことは、自分自信の裡を整理し、自分を高めることにもなるのですが、問題は「疲れる」ことなんですね。

これは、「理想的な自分」を高く設定しすぎたこと(=無理)ではないと思います。高みを目指すことではなく、そこに付随するものを「義務」のように考えること、つまり強迫観念が生じていることだと思います。ここに「自己過信」があります。

あははは、またヤヤコシク書いているかなあ。

「他人に優しくありたい」「他人の役に立ちたい」などの思いは貴重な衝動なんですが、そういう自分を演じることとそういう自分を目指す時に、「こうしなければならない」なんていう変な基準を持つところに問題があるわけです。目標ではなく手段に「無理」があるということですかね。 自分には無理な基準を、自分に強いることで疲れることになります。

んー、そうだな。強迫観念かな。あ、薬飲むの忘れた。