頬杖のココロの奥

気がついたら頬杖を付いている私が斜め上を見ながらぼやく日々

怒り

私は普段から腹を立てやすい。
でも意味なく怒ったりはしない。どちらかと言うと
しょーもないことで腹が立って文句を言ってる人に腹が立つ。
不可抗力であるにもかかわらず、不条理に起こっている姿は
みっともなさを通り越して滑稽でもある。


しかしこの度は久しぶりにフツフツと湧く怒りを沈めようとしても
どうも収まらないからぶちまけたいと思う。
もちろん、詳しくは書かない。

とても窮地に陥っている人に心配の声を掛けることは
ごく当たり前のことであって、人から賞賛されることでもなんでもない。
ただ、その心配は押し付けであってはならないので
最小限の手段で行う。まず電話は相手の手を止めるので
絶対にNG。但し身内ならは別。

この度色々と自然災害があり、危険な地域である人に
ご無事であるか、何もなければよいが・・と要約すると
この様な内容のことを数人に送ることがあった

たった一人、理解に苦しむ反応があった。
要は自らの言葉でではない文章だった。
たったひとつのURL、その先を読め。ということ。

意味がわからない。「大丈夫」という3文字よりもURL(その人のいわばブログであるが)をよこしたのだ。

この人の事はよく知っていて「またしてもか」という感想しか無いけれど
まぁ想像はつく。損得勘定で動く人で自分に不要な人には
最低限の接触すらしない人なのだ。

ああ、私が100%ウマシカなんだけれども、怒りが湧いた。
当然そのURLは踏んでいない、『読む価値がない』から。
簡単な状況を書いた上で詳しくはこんな感じだ、というならば
何も思わなかったのに。

また一つ教訓になった。バカは賢くなる。
バカでよかった、まだまだ対人関係を勉強する機会を得た。


そんな敬老の日。お昼はお赤飯、80の父、77の母。
今年もそれぞれの誕生日にケーキを買えて良かったな